« 【日治時期を知る (8)】日治時期の始まり | トップページ | 【日治時期を知る (10)】雲林事件 »

2013年3月23日 (土曜日)

【日治時期を知る (9)】芝山巖事件と国語伝習所

初代台湾総督・樺山資紀が全島平定を宣言した1895年(明治28年)11月以降も、抗日暴動は絶えることなく発生している。 12月に入って台湾北部の治安が再び悪化し、同年7月に設立された小学校・芝山巌学堂の日本人教師たちにも危険が迫っていた。 周辺住人は避難を促したが、しかし彼らは教育の場を離れることを望まず、年が明けた1896年(明治29年)1月1日、日本人教師6名と用務員1名は、武装抗日集団によって首を刎ねられ殺害された。 現地の日本人を震撼させたこの事件は、『芝山巖事件』、あるいは『六氏先生事件』と呼ばれている。 なお、芝山巌学堂を設立した総督府学務部長・伊沢修二と残る日本人教師1名は、たまたま一時帰国していたためこの難を逃れている。

* * * * * *

台湾での日本語教育および学校の設置は、総督府開設後すぐに実行された。
1895年7月12日、総督府学務部長・伊沢修二は日本から連れてきた教師7名とともに国語伝習所の実験校となる芝山巌学堂(…小学校)を開校し、方言の研究を行なうとともに地元の台湾人に日本語を教え始めた。
国語伝習所は後の公学校の前身となる西洋方式の初等教育機関で、この場合の『国語』とは日本語を指す。 台湾はそれぞれの言語を持つエスニックグループの集合体である。 同化政策を進め、あまねく統治をしていくためには共通言語が必要だった。 伊沢修二の計画には当初から全員教育の考えがあり、芝山巖事件の発生で若干の遅滞は生じたものの、1896年5月に国語伝習所14校の設置が決定。 同年9月には原住民を対象とした国語伝習所第1号・豬勞束分教場(…現在の屏東県満洲郷)も開校した。 現在この地は高砂族(…山地原住民族の総称)教育発祥の地として知られている。

1898年(明治31年)、国語伝習所は順次廃止され公学校に改編。 1910年(明治43年)には義務教育制度をスタートさせた。

* * * * * *

台湾史教科書『認識台湾』では、日本が行なった教育は植民政策を貫徹させるための道具だったと子供たちに教えている。 たしかにそのとおりかもしれないが、しかし教育に命を懸けた日本人がいたことも一緒に教えてもらえたら…とも思う。 ちなみに芝山巖事件についてはまったく触れていない。

* * * * * *

2014年11月3日、追記:
芝山巖事件で殺害された教師の1人・楫取道明は、2015年放送予定のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公・楫取美和子(旧姓・杉文)の義理の息子である。

* * * * * *

ガス欠寸前です…。
押していただけると嬉しいです…^^;。
にほんブログ村 音楽ブログ C-POPへ にほんブログ村

« 【日治時期を知る (8)】日治時期の始まり | トップページ | 【日治時期を知る (10)】雲林事件 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 【日治時期を知る (8)】日治時期の始まり | トップページ | 【日治時期を知る (10)】雲林事件 »

【台湾ポップス】TW-POP bot

C-POPブログ、いっぱい。

通貨コンバーター

無料ブログはココログ