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2013年3月20日 (水曜日)

【日治時期を知る (8)】日治時期の始まり

現在の台湾では、日本統治時代(1895年-1945年)のことを『日治時期』と呼ぶのが主流となっている。 以前の国民党主導による歴史教育が行われていた頃は、『日據時期』…つまり『日本占領時代』と呼んでいた。 しかし李登輝総統の登場以降、歴史を公正に見直そうとする流れが生まれ、この時代についても、日本が台湾を占領したのではなく、戦争の結果割譲されたのだ、という史実どおりの見方をするようになっている。 日本人ばかりが自分たちの都合の良いように『統治』と言い換えているわけではないのだ。

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1895年(明治28年)6月2日、基隆沖の船上で授受式が行なわれ、台湾は正式に日本の統治下に入った。 同月17日、初代台湾総督・樺山資紀が台北で始政式を執行。 軍事と行政、すべての権力が集中する台湾総督府が動き出す。

この年は台湾民主国軍や地域の抗日軍との戦闘、鎮圧に費やされ、日本側にそれ以外の語られるべき面はほとんど無い。 苦戦が続き、8月には軍政に移行。 何度も増派しては掃討戦を繰り返した。 台湾人にとって自分たちの領域を侵す日本人は、条約などとは関係なく敵だった。
ただ1つ注目していいのは、総督府の開設と時を同じくして日本語教育が始まっていたことだ。 総督府学務部長に就任した長野県高遠出身の教育者・伊沢修二は『教育こそ最優先すべき』との理念のもと、台北の芝山巌恵済宮内に日本から連れてきた7名の教師とともに国語伝習所・芝山巌学堂(…現・士林國小)を開校。 生徒6名と共同生活をしながら日本語を中心とした西洋式の授業を始めた。 彼らの熱意ある教育活動は徐々に周辺住民に受け入れられるようになり、9月には生徒数が21名にまで増えている。 その日本人教師たちを悲劇が襲うのは、翌1896年1月1日のことである。

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日本統治時代は大きく3つの時期に分けられる。 1895年から1919年までの前期武官総督時期(漸進主義時期)、1919年から1937年までの文官総督時期(内地延長主義時期)、そして1937年から1945年までの後期武官統治時期(皇民化運動時期)だ。 台湾史教科書『認識台湾(台湾を知る)』ではこの時期の出来事について、基本的には公正な記述となっているが、しかし立場の違いは隠していない。 日本は台湾を植民地として扱い、不平等待遇を行なって台湾人を差別した。 日本が行なったあらゆる改革は植民統治を有効に進めるための政策であると、各章の冒頭で強調している。

WBCの台湾戦以降、『台湾は親日だ』、『台湾は日本に統治されたことを感謝している』といった発言や書き込みがちょっと目立ってきているような気がする。 しかし、日本と台湾の間にあった歴史を知れば、あまり浮かれてばかりもいられないはずなのだが…。

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