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2013年3月16日 (土曜日)

【日治時期を知る (4)】清領時代後期、阿片戦争~八瑤湾事件まで

清朝は17世紀初頭に勃興し、北京に遷都した1644年から、中華民国が南京に樹立された1912年まで、300年近くに渡って中国大陸を支配した最後の統一王朝である。
19世紀中期に入り、阿片戦争(1840年-1842年)でイギリスに、アロー戦争(1856年-1860年)でイギリス・フランスの連合軍に敗れた清朝は彼らの強硬な要求に抗うことが出来ず、経済的、戦略的要衝に位置する台湾の4つの港、安平・打狗(高雄)・雞籠(基隆)・滬尾(淡水)を通商港として開放させられる。 しかしこれが台湾の国際貿易産業にさらなる成長をもたらすことになった。 輸出の主要産品は茶、砂糖、樟脳などで、茶はアメリカや南洋に、砂糖は中国大陸のほか日本やオーストラリアにも輸出された。 輸入は中国大陸、インド、トルコなどからの阿片が半分以上を占めたものの、日清戦争(1894年)までの20数年間に於ける対外貿易総額の年平均成長率は、同時期の中国大陸を上回る約8%と記録されている。

一方その頃日本では幕末を迎えていた。 清の阿片戦争での敗北は大きな衝撃をもって伝えられ、開国か攘夷かで国内を二分する争いを経たのち幕藩体制の解体へとつながっていく。 1867年(慶応3年)、15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返還(大政奉還)。 翌1868年、元号は慶応から明治に改められた。
その3年後の1871年(明治4年)に発生したのが、日本軍初の海外派兵…いわゆる『牡丹社事件』の端緒となる『宮古島島民遭難事件』だ。

1871年10月、当時日本(鹿児島県)と中国大陸・清国との両属関係にあった琉球国・宮古島の御用船が嵐で流され、台湾南部・八瑤(バーヤオ)湾に漂着、難破した。 乗員69名のうち3名は上陸途中波にさらわれ溺死。 上陸した66名は人家を求めて彷徨ううち当地に多く住む原住民族・排湾(パイワン)族の部落の一つ・牡丹社(ぼたんしゃ)に入り込んでしまい、54名が首を刎ねられ惨殺。 散り散りに逃げ延びた残り12名は運良く現地の漢民族・鄧天保らによって救出され、手厚い保護を受けたのち1872年(明治5年)に中国大陸・福州経由で那覇に戻った。 台湾ではこの事件を『八瑤湾事件』と呼んでいる。

これを知った日本政府は当初冷静な対応に務めていたが、高まる国内の台湾征伐強硬論をついに抑えきれなくなり、台湾出兵へ動き出すこととなる。

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