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2013年3月15日 (金曜日)

【日治時期を知る (3)】鄭氏治台時期~清領時代前期まで

1662年、台湾からオランダ人を駆逐した鄭成功によって台湾史上初の漢人政権が誕生、政治改革が開始される。 しかしその矢先の6月に鄭成功が病死。 彼の遺志は息子・鄭経に引き継がれ、文教事業の推進、開拓による食料の増産、中国大陸・イギリス・日本・南洋との貿易を盛んに行なうなど台湾の基礎を築き上げた。
ところがその鄭経も1681年に40歳の若さで死去。 王位は彼の16歳になる長男・鄭克臧に継承されるはずだったが、鄭経の次男・鄭克塽の擁立を目論んだ奸臣・馮錫範によって鄭克臧は殺害されてしまう。 結局王位は次男・鄭克塽が継いだものの政局は不安定となり、1683年、攻め込んできた施琅率いる清朝軍との戦いで壊滅的大敗を喫し降伏。 23年に渡る鄭氏の台湾統治は終わりを告げた。

翌1684年、清朝は台湾府とその下に3つの県(台湾、鳳山、諸羅)を設けて福建省に隷属させる。 大量の福建人と広東人が移民するようになり開拓範囲は拡大。 現在の宜蘭地方(台湾北東部)には19世紀初めの時点で数万人の漢人移民がいたと記録されている。 各地に建てられた廟宇は地域信仰と活動の中心となって漢人移民の結束を強めたほか、儒学や書院など知識の普及を行なう教育施設も設置され、台湾では迅速に文教が発展していった。

しかし清朝政府は当初台湾統治には消極的で、原住民に対しては放任政策をとる一方、台湾への移民については反清朝の基地となることを恐れ、渡台許可書を持つ独身男子のみに限定(…これが男女の人口比率を大きく崩し、原住民との通婚が進む要因となった)。 密航も禁止したがそれでも渡る人は多く、絶えることはなかった。 また、漢人の増加にともない、原住民地区への侵入と原住民との通婚を禁止する通達も出されたが徹底はされず、漢人が原住民の土地を不法に占拠、収奪するなどのトラブルも絶えなかった。 官吏の統治能力、軍紀、政府の公権力はいずれも不良。 社会福祉政策も不十分で、人々の生活は日増しに窮乏し、政府への反乱、集団抗争が頻繁に起こるようになる。 1721年の朱一貴事件(…初の大規模な反清事件、一時全台湾を制圧した)、1786年の林爽文事件(…清朝は延べ10万人余の大軍を動員して1788年にようやく平定した)、1862年の戴潮春事件(…波及範囲が新竹から嘉義一帯にまで及び、平定まで6年近くを費やした)はとくに規模が大きかったことで知られている。

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