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2013年3月24日 (日曜日)

【日治時期を知る (10)】雲林事件

台湾総督府が本格的に統治政策を打ち出し始めるのは、1896年(明治29年)に入ってからである。 そして同時に、義軍や土匪(…土着の匪賊)による抗日暴動についても、容赦無く鎮圧をしていった。
台湾史教科書『認識台湾(台湾を知る)』では武装抗日時期を、前期(…一旦治まった1902年まで)と後期(…再び始まった1907年から1915年まで)の2つに区分して教えている。 前期の抗日事件は数百人から数千人の規模で次々に発生し、ゲリラ戦術を駆使して日本人に多大な打撃を与えた。 それに対して日本側は常に残酷な報復性の鎮圧を行ない、罪無き者までみだりに殺害した…としている。

教科書に具体例は示してないが、この時期最も大きかったものは1896年6月、台湾中部・雲林で発生した『雲林事件』だろうか。
当時雲林も支庁前の日本人商家が襲われるなど危険な状態だった。 大規模な反抗が画策されているとの情報を得た日本側が偵察隊20名余を出したところ、突然500名を超える武装土匪からの攻撃を受け、隊長以下多数が死傷。 それに対し日本側が行なった報復的な無差別掃討によって、土匪や武器を隠しているとされた70余の村落が焼き払われ、住民多数が殺害されたというものだ。 現在では焼失戸数4295戸、死者6000名との数字が一般的で、『雲林虐殺事件』、あるいは『雲林大屠殺』と呼称する記事も多く見掛ける。
戦闘を逸脱したこの行為は各地で反日勢力の連鎖的蜂起を引き起こし、日本側が一時撤退した地域も出たほどだった。 また、香港の英字紙がこれを報じたことで国際的な批判にもさらされることとなり、命令を下した雲林支庁長は官位剥奪のうえ懲戒免職。 被害を受けた台湾人には、明治天皇、台湾総督府などから見舞金が支払われている。

事件後に雲林を訪れ、被害者の慰問と民族対策調査にあたった総督府民政局内務部長・古荘嘉門は在台日本人に対して、『物は金を出して買え』、『台湾人の文化を尊重せよ』、『台湾語を学べ』、『台湾人婦女に猥雑行為をするな』ほか、人として至極当たり前の通達を出さねばならなかった。 つまりそれほど当時の日本人の道徳・規律・風紀の乱れが甚だしかったということだろう。 抗日が治まらない要因は、これまで異文化に接したことが無かった井の中の蛙・日本人の中にこそあったのである。
第2代台湾総督・桂太郎はこの事件発生直前に就任したばかりだったが、結局事態の収拾に追われるのみで10月に退任している。

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